サーペント・マウンドの謎!宇宙人が1万2千年以上前に造らせた天文学的遺跡?

サーペント・マウンド 古代の宇宙人

アメリカのオハイオ州にはサーペント・マウンドと呼ばれる謎の遺跡があります。

この遺跡が興味深いのは、高度な天文学的知識を用いて造られているということ。

1万2千年以上前に造られたと主張する人もおり、もしかすると、宇宙人が古代人に造らせたのかもしれません。

この記事では、そんなサーペント・マウンドについて紹介します。

<スポンサーリンク>

謎の遺跡サーペント・マウンドとは

サーペント・マウンド

サーペント・マウンドとは、アメリカのオハイオ州アダムズ郡のブルシュ=クリーク河谷の東岸にある遺跡です。

蛇をかたった形象墳で、全長は約404m。(蛇に見立てた場合のマウンドの全長は約435m)

蛇の胴にあたる部分の幅は6m、川からの比高差30m、墳丘の高さは1~1.5mほどあります。

サーペント・マウンドが謎の遺跡と言われているのは、付近に先住民族の墳墓が沢山あるにも関わらず、サーペント・マウンドが墓として使われた形跡がないから。

それでいて、地上にいたのではサーペント・マウンドが何の形をしているのかまったく分かりません。

つまり、上空から見ることを前提としてデザインされており、用途不明である点も含めて、ナスカの地上絵と同じです。

また、いつ誰が造ったのか分からないという点も謎の一つです。

サーペント・マウンドは天文学的遺跡なのか

用途不明と言われているサーペント・マウンドですが、作家のグラハム・ハンコックは、「サーペント・マウンドは天文学的遺跡だ」と主張しています。

その根拠は、頭から2つ目のうねりが夏至の日の出の方角、3つ目のうねりが秋分と春分の日の日の出の方角、4つ目が冬至の日の出の方角を表しているから。

蛇の顎は夏至の日没に向いていますし、とぐろを巻いた尾の中心から頭の付け根に直線を引くと、その方角は真北になります。

また、この尾は、南北の回帰線を往復する太陽の軌道や18.6年周期で移動する太陽と月の交点を表しています。

このようにサーペント・マウンドは複数の天文学的事象を表現しているわけで、偶然の一致とは考えられません。

このことからグラハム・ハンコックは、「サーペント・マウンドは高度な天文学的知識を持つ者が造った」と指摘しています。

<スポンサーリンク>

サーペント・マウンドは1万2千年以上前に造られた?

サーペント・マウンドの謎の一つは、いつ造られたのかが不明ということ。

これに伴って、誰が造ったのかという点もよく分かっていません。

主流の考古学者による仮説

サーペント・マウンドから採取された木炭片を放射性炭素年代測定にかけたところ、1070年前後のものという結果がでました。

この当時、北米ではミシシッピ文化が繁栄していたため、主流の考古学者はミシシッピ文化に属する人々が1070年前後にサーペント・マウンドを造ったと主張しています。

事実、ミシシッピ文化の遺跡から発掘される遺物にはガラガラヘビがデザインされていることが多く、サーペント・マウンドが蛇の形をしている理由にも説明がつきます。

ただし、同文化における墳丘墓には、副葬品が納められるのが一般的。

これに対してサーペント・マウンドからは副葬品は出土しておらず、この点において1070年前後に造られたという説には大きな疑問符がつきます。

また、サーペント・マウンドが何度も修復されていた場合、放射性炭素年代測定の試料となった木炭片が建造当初のものだったという保証はありません。

たとえば、別の機会に行われた試料検査では、サーペント・マウンドが造られたのは紀元前321年という結果がでました。

その他、サーペント・マウンド付近には紀元前3,000年頃の墳丘や数百万年前に掘られた洞窟もあります。

そのため、サーペント・マウンドが紀元前3,000年か、あるいはそれよりも昔に造られていた可能性もあるわけです。

顎の向きが造られた時期を表している

サーペント・マウンドの顎の部分は、夏至の日没に向いています。

ただし、現在、墳丘から見た夏至の太陽は、顎の中心から2度ほどずれています。

この2度のズレは素人目にも明らかであり、建造時に気付かなかったはずはありません。

このことから、サーペント・マウンドが作られた時期と現在とでは、地軸の傾きが2度ずれていると考えられます。

これはおそらく、地球の歳差運動が原因。

地球は約2万6千年周期で歳差運動をしており、それに伴って星や太陽の見える位置も変わるのです。

では、顎の中心が正確に夏至の日の日没を示していたのはいつなのか?

これについて計算したグラハム・ハンコックは、「サーペント・マウンドが作られたのは1万2千年以上前だ」と主張しています。

1万2千年前といえば、最終氷河期の末期。

その後の気候変動で大洪水が起きたとされている時期です。

1万2千年以上前には超古代文明がいくつもあった?

グラハム・ハンコックの説が正しければ、1万2千年以上前の北米には、高度な天文学的知識を持った未知の古代文明があったことになります。

その古代文明は大洪水によって滅亡し、それに伴って知識や技術も失われたと考えられます。

大洪水

では、1万2千年以上前に存在した文明は一つだけだったのか?

これについてグラハム・ハンコックは、「大洪水が起きる前の世界(1万2千年以上前)には、超古代文明がいくつもあった」と主張しています。

サーペント・マウンドを造った文明はその一つ。

他にはインドネシアのグヌン・パダン遺跡を造った文明やアトランティス、日本の与那国島海底遺跡を造った文明も同様です。

この説は主流の考古学者から度々批判されていますが、1万2千年ほど前に大洪水が起きたことは地層が証明しています。

なおかつ、大洪水が起きる前に人間と神が暮す時代があったという伝承は世界中にあるのです。

<スポンサーリンク>

サーペント・マウンドが造られた場所にも謎がある

サーペント・マウンドはクレーターの外縁部に造られています。

このクレーターのサイズは直径8km。

3億年前に隕石が落ちたと考えられています。

現地の伝承によると、先住民がこの地にやってきたとき、鳩らしき鳥が上空を旋回していたとのこと。

おそらく、隕石の落下が原因で、クレーター一帯に磁気異常が起きており、そのせいで鳩が方向感覚を失ったのでしょう。(鳩は頭の中に磁石を持っている)

この磁気異常はサーペント・マウンドにも及んでおり、方位磁石が狂うスポットがあるのです。

実のところ、磁気異常のある場所に古代遺跡が造られた例はいくつもあり、偶然ではなかったはず。

つまり、サーペント・マウンドを造った人々はそこで磁気異常が起きていることを知っており、それを何かに活用しようと考えていた可能性が高いのです。

サーペント・マウンドは落雷による電気を集めていた?

落雷

サーペント・マウンドは、純度の高い石灰石や白雲石の露出した場所に造られています。

そして蛇の頭にあたる部分のすぐそばには、人の手で加工されたと思われる白雲石があります。

現在は倒れて半分土に埋まっていますが、オベリスクのような形状に加工されており、何らかの目的があってそこに置かれたはず。

もしかするとその目的とは、落雷を集めることだったのかもしれません。

というのも、サーペント・マウンド一帯では、落雷が頻繫に発生するから。

避雷針とも考えられますが、白雲石は半導体性が良い石であり、このことから雷のエネルギーを集めていたとも考えられます。

古代文明に電気ときくと違和感を覚えがちですが、エジプトの大ピラミッドは巨大な発電所だったと主張する学者もいるほど。

そもそも、大洪水以前の文明がどれほどの技術を持っていたのかは誰にも分からないわけで、電気を使用していたという説もむげには否定できません。

サーペント・マウンドは宇宙人が造らせた?

サーペント・マウンドはりゅう座をかたどって造られています。

なぜわざわざりゅう座を表す必要があったのか?

理由の一つとして考えられるのは、りゅう座の恒星トゥバンが紀元前4世紀から2世紀の北極星だったこと。

これは、前述した紀元前321年に造られたという仮説と一致しており、サーペント・マウンドが造られた時期を後世に伝える目的があったと思われます。

ただし、星座で時期を表現するという考え方は、星の見え方が長い年月をかけて変わるということを知っていてこそ成立するものです。

つまり、地球の歳差運動を知っている者がサーペント・マウンドの建造に関わったということ。

このことから私は、サーペント・マウンドは高度な知識を持つ宇宙人が人間に造らせた遺跡だと考えています。

そう考えると、白雲石を使って電気を集めていたという説にも信ぴょう性がでてきます。

十分に科学が発達していなかった古代において、宇宙人は自然の力を活用してエネルギーを得ていたのかもしれません。

ちなみに、地球の歳差運動は約2万6千年周期ですから、恒星トゥバンは紀元前321年の約2万6千年にも北極星でした。

つまりサーペント・マウンドが造られたのは紀元前2万6千3百年で、その後何度も修復が行われたという可能性もあります。

宇宙人の目的はイリジウムの採収か?

サーペント・マウンド付近の土には、レアメタルのイリジウムが豊富に含まれています。

イリジウムは地球上では生成されず、落下した隕石に含まれている物質。

つまり、サーペント・マウンドがクレーターの外縁部に造られたのは、イリジウムの採収に関係しているとも考えられるわけです。

そんなイリジウムの特徴は、2,000度の高温に耐えることができることと、腐食に強いこと。

現在では宇宙船の素材としても利用されていますから、宇宙人も同じ目的でイリジウムを欲していた可能性はあります。

サーペント・マウンドはそのための基地で、雷を使って得た電力を使って採収していたのかもしれません。

なお、サーペント・マウンドと宇宙人に関しては、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第17話)で詳しく紹介されています。

*「古代の宇宙人」はHuluで視聴できます。
<スポンサーリンク>

まとめ

この記事では、謎の遺跡サーペント・マウンドについてご紹介しました。

あくまでも仮説になりますが、サーペント・マウンドは1万2千年以上前に造られた可能性があります。

そして建造の目的は、イリジウムの採収だったかもしれません。

もしそうなら、サーペント・マウンドの建造には宇宙人が関わったのではないでしょうか。

なお、宇宙人が建造に携わったと思われる謎の遺跡はいくつもあり、下の記事でまとめて紹介しています。

ピラミッドやモアイ像等、宇宙人・UFOと関係がある謎の古代文明の遺跡一覧

<スポンサーリンク>

コメント

タイトルとURLをコピーしました