イースター島のモアイ像は極めて有名な世界遺産です。
知らない者はいないほどですが、解明されていない謎が沢山あります。
「どこを向いているのか?」
「どうやって運んだのか?」
「モデルは誰なのか?」等々。
これらの謎の答えになりそうな説は諸説ありますが、宇宙人関与説もその一つなのです。
<スポンサーリンク>
イースター島のモアイ像とは
モアイ像とは、チリ領イースター島にある人面を模したとされる凝灰岩でできた石像のこと。
1722年にヤコブ・ロッヘフェーンがイースター島にたどり着いたことで、その存在が知れ渡りました。
2024年までに発見されているモアイ像は887体。
ほとんどのモアイ像は高さ3.5メートル、重量20トン程度ですが、最大のものは高さ20メートル、重量90トンもあります。
また、プカオと呼ばれる赤い石が頭上に乗せられていたり、目と思しき造作がされていたりと、作られた年代によってデザインが異なります。
<スポンサーリンク>
モアイ像の謎1:いつ作られたのか?
イースター島のモアイ像にまつわる謎の一つは、いつ作られたのかが分からないということ。
以前は、1000年以内に作られたものと考えられていましたが、現在では「1000年以上前のいつか」とする説が有力。
なので、数千年以上前に作られた可能性もあります。
というのも、トルコで発掘調査中である約1万2千年前の遺跡・ギョベクリテペでは、石柱に動物のレリーフがあるから。
つまり、1万2千年前には石を加工して何らかの形を作る技術があったわけで、イースター島のモアイ像もその一つかもしれないのです。
モアイ像の謎2:どうやって作った?
モアイ像の材料となった石材は凝灰岩。
「ラノ・ララク」と呼ばれる直径約550メートルほどの噴火口跡にある石で、現在でも完成前のモアイ像が道具とともに残っています。
凝灰岩自体はさほど固い石ではないので、粗末な道具でもかなり加工できたはず。
ただし、モアイ像の中には細部が非常に正確にカットされたものがあり、粗末な道具だけでは作れなかった可能性が高いです。
同じように石に正確なカットが施された例は他の遺跡にもあります。
例えば、ボリビアにあるプマプンク遺跡。
専門家によるとダイヤモンドチップがついた機械でもなければ、ここまで正確なカットはできないとのこと。
つまり、古代には我々の想像を超える石の加工技術があったことになります。
モアイ像の謎3:何のために作られた?目的は?
モアイ像が作られた目的は解明されておらず、大きな謎です。
祭祀目的で立てられたと考える考古学者が多いのですが、それは単なる想像。
モアイ像を使って祭祀を行った痕跡は何一つありません。
また、かつての住居跡を取り囲むように設置されていることから、住民の守り神として作られたという説もあります。
ただし、モアイ像を量産して守ってもらわなければならないほどの災いが何だったのかは分かっていません。
<スポンサーリンク>
モアイ像の謎4:モアイ像は歩いた?運び方は?
モアイ像最大の謎ともいえるのが、運び方です。
前述した通り、モアイ像の加工は「ラノ・ララク」と呼ばれる噴火口跡で行われていました。
そこに溝があることから、平地まではこの溝を使って降ろしたと考えられます。
また、平地には放射状に伸びる道があり、この道の上を通したと思われるのですが、その運び方は分かっていません。
ころを使ったのではない
モアイ像の運び方に関して、一昔前までは、横倒しにした像を木の「ころ」に乗せて運んだという説が有力でした。
しかし、イースター島は平坦な場所ばかりではなく、途中に川もあります。
また、最大で90トンもあるわけで、木の「ころ」だと潰れてしまいます。
考古学者のヘイエルダールは「木の『ころ』を使えば当時の人口・技術力でも運搬が可能だった」と主張していますが・・・
TV番組で「ころ」を使ってモアイ像を運ぶ実験が行われましたが、成功しませんでした。
モアイ像を歩かせたという説もある
イースター島には、「モアイは自分で歩いた」という伝説があります。
この伝説に基づいて考え出されたのが、モアイ像を立たせたまま、縄で引っ張りながら目的地まで運ぶ方法。
近年になってこの方法が試され、「ころ」を使うよりも少ない人数で運搬できることが確認されました。
モアイ像が立っていることから「歩いているように見える。だからこの方法が正しい」という論調になっていますが・・・
私には単なるこじつけに聞こえます。
モアイ像を立たせて縄で引っ張ったのなら、なぜその通りに伝わっていないのでしょうか?
わざわざ「モアイは自分で歩いた」と表現する必要はなく、「縄で引っ張った」と伝えればすむ話です。
モアイ像はマナによって運ばれた
実のところ、「モアイは自分で歩いた」という島の伝説には続きがあります。
モアイ像は目から「マナ」と呼ばれる力を発し、それによって自分で歩いたというのです。
非科学的な伝説なので主流の考古学者は信じていないようですが、これがイースター島に伝わるモアイ像の伝説。
私は「マナ」とは宇宙人から提供された反重力の技術だと考えています。
なお、宇宙人が関係していると思われる遺跡はモアイ像以外にもあります。
それらについては、下の記事にて一覧で紹介しています。
ピラミッドやモアイ像等、宇宙人・UFOと関係がある謎の古代文明の遺跡一覧
モアイ像の謎5:モアイ像はどこを向いている?
887体あるモアイ像のうち、880体は島の内側に向いて立っています。
これが「モアイ像は島を守っている」と考えられている理由。
ただし、7体だけが外側を向いて立っています。
実は、この7体の向いている先こそが、モアイ像の謎を解き明かす鍵なのです。
モアイ像はマルケサス諸島を向いている
7体のモアイ像の視線を真っすぐ伸ばして一番最初に行き着くのは、フランス領マルケサス諸島です。(マルキーズ諸島ともいう)
マルケサス諸島の言い伝えによると、その昔、マルケサスの王が喧嘩ばかりする実子7人をイースター島に送ったとのこと。
また、マルケサス諸島には神ティキを表した像が多数存在しますが、それらはすべてイースター島の方角を向いています。
つまり、マルケサス諸島とイースター島との間には、強い繋がりがあるのです。
マルケサス諸島の神ティキとは
ティキは古代にマルケサス諸島にやってきた最初の祖先だと言われています。
肉体を持った生命体だとされていますが、その像をみると目が異常に大きいのが特徴。
人間というよりは、宇宙人ときいて多くの人がイメージする「グレイ」に近いようです。
もしくは、縄文時代に作られた土偶にも似ています。
興味深いのは、ティキには「マナ」と呼ばれる不思議な力があったと言われていること。
奇しくも、イースター島のモアイ像を動かしたとされる力と同じ名前なのです。
マルケサス諸島とイースター島との強い繋がりを考えると偶然とは思えず、むしろマナという不思議な力が実在したと考える方が妥当です。
<スポンサーリンク>
モアイ像の謎6:モアイ像のモデルは?
モアイ像のモデルについては諸説あります。
島の外側を向いている7体のモアイ像のモデルは、マルケサス諸島から来た王の息子7人を表しているはずです。
しかし、この7体と他の880体は見た目が同じ。
ということは、マルケサス諸島から来た王の息子7人の子孫、又は王の息子7人と外見的特徴が同じだった人達が880体のモデルだと考えられます。
ここで気になるのが、イースター島を発見したヤコブ・ロッヘフェーンのメモ。
彼は、「イースター島を訪れた時、色白で赤毛や金髪の巨人がいた」と書き記しているのです。
また、マルケサス諸島の洞窟からは巨人の骨がみつかっています。
つまり、イースター島にもマルケサス諸島にも、かつて巨人が住んでいたということ。
おそらく、この巨人がモアイ像のモデルでしょう。
もっと言えば、巨人とはマルケサス諸島に伝わるティキの子孫だったのではないでしょうか。
そして、ティキの子孫(巨人)にも「マナ」が備わっており、それによってモアイ像を動かしたのかもしれません。
なお、イースター島のモアイ像については、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第141話)で詳しく紹介されています。
巨人伝説は世界中にある
巨人がモアイ像のモデルという話はファンタジーのように聞こえるかもしれません。
しかし、巨人伝説は世界中にあり、旧約聖書にもはっきりと「巨人がいた」と書かれています。
実際、地中海にあるサルデーニャ島では、1979年の発掘調査で2.7~3.7mの巨人の骨が複数出土したという記録があります。
骨は近くの教会に運ばれましたが、翌朝にはなぜか全て紛失していたのだとか。
また、マルタ島でも1953年に身長2.4mを超える人骨がみつかっています。
旧約聖書によると、巨人は堕天使と人間の女性の間にできた子供なのだとか。
ネフィリムと呼ばれたこの巨人が増えすぎたために、神は大洪水を起こして巨人を一掃しようとしたのです。
これが俗にいう「ノアの方舟」の物語。
旧約聖書の内容が正しければ、イースター島で巨人を目撃したというヤコブ・ロッヘフェーンのメモも何らおかしい話ではないのです。
<スポンサーリンク>
ティキとは宇宙人ではないか?
ご紹介した通り、マルケサス諸島に伝わる神ティキは肉体を持った生命体でした。
ティキはマナと呼ばれる力を持っていましたが、イースター島のモアイ像もマナと呼ばれる力で動いたと伝わっています。
以上のことから、モアイ像のモデルはティキの子孫であり巨人だったというのが私の考え。
そして、旧約聖書の記述と照らし合わせることで、ティキ=堕天使だと考えられます。
堕天使は天に住む神が地上に遣わした者ですから、地球上の生命体ではなかったはず。
だとすると、堕天使=ティキは宇宙人だったのではないでしょうか?
例えば、モアイ像を動かしたとされる力「マナ」は宇宙人が用いる反重力の技術。
モアイ像が正確なカットで作られたのも、宇宙人から道具の提供があったのでしょう。
当時のイースター島の人々にとって、それらは神の御業にみえたはず。
よって、モアイ像という形で崇拝の対象とし、宇宙人が去った後も崇め続けたのかもしれません。
このように考えると、考古学では解明できないモアイ像の謎が一気に解けていくのです。
コメント