多くの考古学者によって研究されつつも、未だに多くの謎が残っているマヤ文明。
特に高度な天文学や数学の知識に関しては、どうやって習得したのかまったく分かっていません。
しかし、マヤ文明に宇宙人が関係していると考えれば話は別。
この記事では、神ククルカン=宇宙人という仮説のもと、マヤ文明の謎を紐解いていきます。
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マヤ文明の神ククルカンは宇宙人?
マヤ文明における創造主は神ククルカンです。(上の画像)
マヤの古文書ポポルグフによると、生命は空からやってきた神ククルカンによって作られたとのこと。
また、マヤ人が残した絵文字を読むと、神ククルカンは7~12歳の子供8人を選び、数学や天文学を徹底的に教えたそうです。
この子供達が成長し、初代の神官としてマヤ文明を発展させたと伝わっているわけですが・・・
通常、人間が後世に何かを伝えようとする時、自らの歴史を最優先事項に挙げます。
なので、碑文や遺跡に書かれた内容は史実だと解釈するべき。
それはマヤ文明においても同じであり、絵文字の内容をストレートに解釈すれば、人間に知識を与えた神ククルカンとは宇宙人だったことになります。
この、ククルカン=宇宙人という考え方が本記事の軸。
マヤ文明には謎が多く、一般的な考古学ではほとんど解明できませんが、ククルカン=宇宙人と考えれば、未解明だった謎が解けていくのです。
マヤには宇宙船に乗った王がいた
宇宙人がマヤを訪れ、その発展に大きく貢献したというのが私の考え。
その根拠の一つになっているのが、パカル王の石棺に彫られたレリーフです。
1952年、考古学者のアルベルト・ルスが、マヤの都市パレンケにあるピラミッド(碑文の神殿)内部で墓を発見。
その墓は615年から683年までパレンケを統治したパカル王のものでした。
問題なのは、パカル王の石棺に彫られたレリーフ。(下の画像)
このレリーフについて主流の考古学者は、「王が冥界へと向かう様子を表している」「世界樹を描いたもの」と主張していますが・・・
石棺に「これは冥界の様子です」と記されているわけではなく、考古学者達が自論の範囲で作り上げた仮説にすぎません。
一方、パカル王の鼻をみると、その先に何やらマスクらしきものがあります。
その他、手はレバーらしきものにかかっていますし、足の辺りにはペダルらしきものも。
つまり、解釈によっては、乗り物のコクピットにも見えるのです。
なおかつ、後部は火を噴いているようにも見えることから、「パカル王は酸素マスクが必要な場所へ向かう乗り物=宇宙船に乗っている」と指摘する学者もいます。
たしかに、冥界へ向かう途中にしては、パカル王の姿勢が不自然。
堂々と歩いているわけでも、ゆったりと寝かされているわけでもなく、あきらかに狭い空間で身をかがめています。
現代においても南米はUFO多発地帯ですから、パカル王は宇宙人と交流があったのかもしれません。
ククルカンは世界中に文明をつくった
マヤにおいてククルカンは「羽毛の生えた蛇」と表現されます。
不思議なのは、蛇によって人間が作られた又は知識を与えられたという話が世界中にあること。
たとえばインドに伝わる神ナーガも蛇ですし、旧約聖書でアダムとイヴに知恵の実であるリンゴを食べさせるのも蛇。
このことから、同一の宇宙人が世界中を旅して周り、行く先々で文明を芽吹かせたというのが私の考え。
また、ククルカンそのものが蛇の姿をしていたわけではなく、その乗り物(UFO)が蛇のような形をしていたとも考えています。
それはおそらく、現代でも度々目撃されている棒状葉巻型のUFOだったのでしょう。
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マヤには高度な天文学の知識があった
マヤの特徴の一つは、非常に高度な天文学の知識をもっていたこと。
その精度は現代の天文学にも匹敵しており、主流の考古学者はマヤ人がどうやって天文学を発達させたのかについて説明できていません。
たとえば、マヤの都市チチェンイッツァには、マヤ人が建てた天体観測所があります。
上部が崩壊しているため詳しくは分かりませんが、少なくとも金星の動きを観測していたことは確か。
過去6,000年にわたる金星の動きを、誤差1日という正確さで把握していたのです。
また、地球の地軸は2万6千年周期で動きます(歳差運動という)が、マヤ人はこのことを理解していました。
仮に、マヤ人が自力で上記のような知識を確立したとすれば、それには数千年以上にわたる天体観測のデータが必要。
しかし、マヤ文明はそんなに長く存在していません。
つまり、マヤの天文学は自力で発達したものではないということ。
天体観測所は知識を得るためのものではなく、すでに持っている天文学の知識を活用して、時の流れを測るためのものだったと考えられるのです。
星図に合わせて都市が造られた
2016年、カナダのケベック州に住むウィリアム・ガドリー(当時15歳)は、マヤ文明の22の星座図にある星の位置と、117の遺跡の位置が一致していることを発見しました。
つまり、マヤ文明の都市は天空にみえる星の位置に合わせて造られていたのです。
実際、星座に星があるのに遺跡が見つかっていない場所が一箇所だけあり、そこを航空写真でみたところ、遺跡らしきものがみつかりました。
このことから、マヤ人が星座図に合わせて都市を配置したのは間違いありません。
問題なのは、どんな効果があるにせよ、都市の配置は上空からしか分からないということ。
これはナスカの地上絵にもいえることですが、完成した姿を誰も確認できないようでは、造る意味がありません。
ということは、空を飛ぶことができる何者かがいたはず。
その者は星座図も理解していたわけで、宇宙人と考えて間違いないでしょう。
なお、ウィリアム・ガドリーが発見した星座図と遺跡の位置関係については、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第119話)で詳しく紹介されています。
マヤ暦が表すもの
マヤの数学レベルの高さを表すのが、マヤ暦と呼ばれる暦です。
マヤは周期の違う3つの暦を持っていました。
そのうちの一つは、現代の我々も使っている太陽暦。
たとえば最近の電子時計は、1年の長さを365.2420日で計算しています。
これに対して、マヤの太陽暦は365.2422日。
実際には、小数点第4位には±5の誤差があるとされており、その意味では電子時計もマヤの太陽暦も正解。
当時は粗末な観測装置しかなかったはずですから、マヤ人が自力で1年の長さを正確に計測できたとは思えません。
このことは、マヤ人に知識を与えた者の存在を示しています。
「神ククルカンが人々に知識を与えた」という伝説の通り、マヤ人は宇宙人から暦について教わったのでしょう。
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マヤの長期暦
太陽暦以上に興味深いのが、マヤの長期暦です。
長期暦の一つのサイクルは5125年間で、2012年12月21日まで記されています。
この2012年12月21日という日は、地球と太陽と天の川銀河の中心部にある通称「暗い裂け目」が一直線に並ぶとき。
マヤ人は優れた天文学と数学によって惑星の位置を予測することができましたが、それはこの一直線に並ぶ日を正確に知るためだったと思われます。
そう考えると、マヤ人にとって2012年12月21日は非常に重要な日のはず。
このことから「地球滅亡(大災害)を予言したものだ」と話題になり、結果として何も起こらなかったので、「マヤの予言はデタラメだった」と批判されました。
しかしながら、マヤの碑文に書かれているのは、「9人の神の帰還」と「人間の意識が目覚めて新時代がくる」という二つ。
大災害が起きるという話は、メディアが勝手に解釈して広めたいわばフェイクニュースなのです。
我々が知らないだけで、こっそりと神(宇宙人)が地球に帰還したかもしれませんし、自覚がないまま人々の意識が少しずつ変わり始めたのかもしれません。
つまり、マヤの予言が当たっているかどうかは誰にも分からないのです。
マヤの長期暦が始まったのは大災害があった時?
2012年12月21日で終わっているマヤの長期暦。
ではその開始はというと、紀元前3114年8月11日です。
この時代、まだマヤ文明は存在していませんでした。
にも関わらず、マヤ暦の開始日に設定されているので、何らかの意味があるはず。
これについては様々な仮説がありますが・・・
ハーバード大学とプリンストン大学の研究により、この時期、オーストリア付近に小惑星が衝突していたことが判明。
当然、大災害が起きたはずです。
また、マヤには「過去に4度の絶滅(大災害)があり、現在は5番目の世界」という伝承があります。
以上のことから、小惑星が衝突した日を5番目の世界の始まり(4番目の世界の終わり)と考え、長期暦の開始日に設定した可能性があるのです。
これを言い換えると、紀元前3114年8月11日の大災害を知っている何者かがいたということ。
私は、それが前述のククルカン(宇宙人)だと考えています。
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マヤ文明の謎
天文学や数学、暦以外にも、マヤには解明できていない謎があります。
- 食料不足
- 衰退の理由
- 生贄の儀式の目的
食料不足を解消する何らかの方法があったはず
西暦200~900年頃のマヤの人口は、1,500万人以上といわれています。
にも関わらず、マヤ文明は家畜を持ちませんでした。
また、暮らしていたのはジャングルで、農耕には不向き。
つまり、慢性的な食料不足だったはずであり、それを補う画期的な方法があったと考えるべきです。
ここで参考になるのが、旧約聖書にあるユダヤ人の出エジプト記。
モーセ率いるユダヤ人一行は40年間も砂漠を彷徨うのですが、その間、毎日天から降ってくるマナという食べ物を食べていたとのこと。
私は、マナは宇宙人がユダヤ人に与えた食料だと考えており、同じことがマヤにおいても起きていたのかもしれません。
なぜ衰退したのか
9世紀頃までにはマヤ文明は衰退し、人々はいなくなっていたというのが定説。
干ばつ、過剰な人口の増加、水質汚染による伝染病、内戦など、様々な理由が挙げられていますが、正確なことは分かっていません。
これに関する私の見解は、宇宙人の協力が得られなくなったというもの。
仮に食料をマナで補っていたとすれば、それには宇宙人の協力が前提。
何らかの事情で宇宙人がマヤの地を離れた、あるいはマナを作ることができなくなったとなれば、マヤ人の生活は成り立たなくなります。
当然、王の威厳は失墜。
マヤの地にとどまる理由がなくなった人々は、食料を求めて他の土地に移り住んだのではないでしょうか。
生贄の儀式の目的
マヤでは神への供物として、人間の血を捧げることが風習でした。
つまり生贄であり、大勢が犠牲になったといわれています。
主流の考古学者によると、生贄を捧げることで神の帰還を願っていたとのことですが、私の考えは別。
パカル王が宇宙船に乗ったことからも分かるように、この時、マヤ人と宇宙人は共に暮らしていたと思われます。
そして、生贄が必要だったのは、宇宙人が自らの生命を維持するために、輸血を必要としていたからではないでしょうか。
あるいは、何らかの人体実験を行っていた可能性もあります。
いずれにせよ、儀式にしては生贄の人数が多すぎるので、もっと実用的なことに人間の血が使われていたと考えるべきでしょう。
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まとめ
この記事では、マヤ文明と宇宙人の関係についてご紹介しました。
マヤ文明のおける神ククルカンとは宇宙人。
マヤ人が高度な天文学や数学の知識をもっていたのも、宇宙人から教わったからだと思われます。
主流の考古学者は決して認めようとしませんが、この視点で見つめ直すことが、マヤ文明を解明する鍵ではないでしょうか。
なお、他の神話や伝説に登場する神も宇宙人の可能性が大。
それらについては、下の記事でまとめて紹介しています。
神話や伝説、古文書に登場する神の正体は宇宙人だった!人間は彼らによって作られた
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