古代文明の遺跡は貴重な文化遺産であり観光資源でもあります。
実のところ、主流の考古学者はこれらが造られた目的や造り方に関する謎を解明できていません。
しかし、古代に宇宙人が地球を訪れ、知識や技術を提供していたと考えれば謎は解決。
この記事では、そんな宇宙人・UFOが関係したと見られる古代遺跡を一覧にしてご紹介します。
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宇宙人・UFOと関係がある?古代文明の遺跡一覧
名だたる古代文明の遺跡はどれも多くの謎を含んでいます。
そんな謎のある古代文明の遺跡を、地域別で一覧表にまとめました。
アフリカ・中東地域にある古代文明の遺跡一覧
遺跡名 | 場所・文明 |
クフ王の大ピラミッド | エジプト文明 |
スフィンクス | エジプト文明 |
ナブタプラヤ | エジプト文明 |
バールベック遺跡 | レバノン |
古代都市ウル | メソポタミア文明 |
クフ王の大ピラミッドやスフィンクスに謎が多いのは有名な話。
その謎については本記事でも後述します。
一方、意外と知られていないのが、中東のレバノンにあるバールベック遺跡。
1世紀頃、ローマ帝国の手により最初の神殿が築かれたというのが定説ですが、どうやって造ったかは謎です。
というのも、神殿には「トリリトン」と呼ばれる1,000トンを超える石が3つ使われているから。
クフ王の大ピラミッドに使われた2.5トンの石ですら積み上げるのが困難なのに、1,000トンともなるともはや人間業とは思えません。
そのため私は、ここに宇宙人の反重力の技術が使われたと考えています。
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南北アメリカ大陸にある古代文明の遺跡一覧
遺跡名 | 場所・文明 |
太陽のピラミッド | テオティワカン |
アラスカのピラミッド | アメリカ |
サーペントマウンド | アメリカ |
先住民の集落跡 | アメリカ |
マチュピチュ | インカ文明 |
サクサイワマン遺跡 | インカ文明 |
ビミニロード | バハマ |
ナスカの地上絵 | ペルー |
バンドオブホールズ | ペルー |
プマプンク遺跡 | ボリビア |
ティアワナコ遺跡 | ボリビア |
南北アメリカ大陸は古代文明の遺跡の宝庫。
と同時に、UFOの目撃事例が多い地域でもあります。
あまりにも目撃事例が多いため、政府や空軍が本格的に調査しているほど。
また、南米の各地に「天からやって来た神」の伝承があることから、住民の多くが「宇宙人は昔から地球に来ている」と考えています。
マヤ文明が驚異的な天文学の知識を持っていたことも踏まえると、古代に宇宙人が地球を訪れ、神と呼ばれていた可能性は高そうです。
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ヨーロッパ・南極にある古代文明の遺跡一覧
遺跡名 | 場所・文明 |
ストーンヘンジ | イギリス |
謎の島ハイ・ブラジル | 北大西洋 |
ギョベクリテペ遺跡 | トルコ |
カルナック列石 | フランス |
南極のピラミッド | 南極 |
ヨーロッパにある古代文明の遺跡で注目してほしいのは、トルコのギョベクリテペ遺跡です。
人類最古の文明はメソポタミア文明であり、今から7千年ほど前に興ったというのが定説。
それ以前の人類には、石造建築物を造る能力はなかったとされてきました。
しかし、近年の調査により、ギョベクリテペが今から1万2千年以上前に造られたことが判明。
まだ発掘途中ではありますが、考古学の定説を大きく覆す遺跡なのです。
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アジア・ポリネシアにある古代文明の遺跡一覧
遺跡名 | 場所・文明 |
モヘンジョダロ | インド |
ドヴァーラカー | インド |
グヌン・パダン遺跡 | インドネシア |
与那国島の海底遺跡 | 日本 |
西安のピラミッド | 中国 |
モアイ像 | イースター島 |
撫仙湖に沈んだ古代都市 | 中国 |
アジアで注目すべきはインドです。
インドといえばインダス文明が有名。
今から4千年ほど前の文明ですが、インドの叙事詩マハーバーラタによると、それ以前に神々と人間が暮す時代があったとされています。
その代表的な例が、神クリシュナが統治したドヴァーラカーです。
また、マハーバーラタにはヴィマーナという名の空飛ぶ乗り物が登場。
その記述から想像される形状は、現代で目撃されている葉巻型やベル型のUFOと酷似しています。
このことから私は、インダス文明以前のインドには、宇宙人(神々)と人間が暮らした時代があったと考えています。
また、イースター島のモアイ像も大変興味深い遺跡です。
定説では千年ほど前に作られたとされていますが・・・
胴体部分が数mも埋まっているモアイ像もあり、千年程度でその高さまで堆積物が積もったとは思えません。
よって、モアイ像は1万年以上前に作られた可能性があります。
なお、モアイ像がいつ作られたかに関しては、下の記事で詳しく紹介しています。
イースター島のモアイ像はいつ誰が作った?1万年以上前に大洪水を生き延びた巨人か?
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クフ王の大ピラミッド【エジプト文明】
一般的にクフ王の墓として知られているエジプト・ギザの大ピラミッドですが、私はそうは考えていません。
その理由は、次の2つです。
- どのピラミッドからもファラオのミイラは見つかっていない
- 大ピラミッド内にある「王の間」には装飾が一つもない
そもそも、大ピラミッドがクフ王の墓と言われているのは、1837年にイギリスの探検家ハワード・バイスが大ピラミッド内部で「クフ」と読める象形文字を発見したから。
しかし、クフと書かれているのはその一ヶ所だけで、しかもその文字はイタズラ書きのように粗末なもの。
大ピラミッドを造ったのがクフ王なら、もっと大々的に名前が刻まれているはずなのです。
エジプト・ギザの大ピラミッドは発電装置だった
私がクフ王の墓説よりも信憑性が高いと思っているのが、機械工学の専門家クリストファー・ダンが唱える「発電所説」です。
クリストファー・ダンが大ピラミッドを調査したところ、「王妃の間」の北側にある「ダクト」からは亜鉛、南側からは希塩酸の跡が見つかりました。
つまり、外から注ぎ入れられた亜鉛と希塩酸が王妃の間で混ざり、水素を発生させていたと考えられるわけです。
ご存知の通り、水素が空気中の酸素と反応すれば、電気と水が発生します。
このことから私は、古代のエジプト人達は、宇宙人から電気の活用法を教わっていたと考えています。
また、大ピラミッドの発電所説は、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第42話)でも紹介されています。
*「古代の宇宙人」はHuluで配信中!興味ある方は下のバナーからどうぞ。
*エジプトの大ピラミッドに関しては、下の記事で詳しく紹介しています。
エジプト・ギザの大ピラミッドはクフ王の墓じゃない!謎の空間と宇宙人発電所説を紹介
発明家ニコラ・テスラのフリーエネルギー構想は、エジプトの大ピラミッドと関係がある
大ピラミッドには古代人が知らなかったはずの知識が使われている
古代のエジプト人達が宇宙人から教わったのは、電気の活用法だけではなかったようです。
というのも、大ピラミッドには次のような知識が詰まっているから。
- 地球のサイズ
- 光の速さ
- 円周率
- 地球の一年の日数
<地球のサイズに関する知識>
大ピラミッドの南北の底辺(3043.433フィート)と東西の底辺(3023.139フィート)の比率は、南極と北極を通る円周と地球の赤道を通る円周の比率と同じです。
<光の速さに関する知識>
大ピラミッドは北緯29.9792458度に位置しています。
そして、光が宇宙空間を1秒間に進む距離は299,792,458m/秒。
なんと、9桁の数字がピッタリ一致しているのです。
<円周率に関する知識>
円周率は大ピラミッドの底辺を2倍にして高さで割ることで求められます。
円周率は紀元前3世紀にアルキメデスが発見した定数です。
しかし、それより2千年ほど前に造られた大ピラミッドには、すでに円周率が盛り込まれていました。
<地球の一年の日数に関する知識>
大ピラミッドの底辺の長さを足してすと、365.242キュービットとなります。
これは、地球が太陽の周りを一周する日数(365.242日)と同じです。
古代エジプト人がこれらの知識を独自に見つけ出したとは考えられません。
非常に高度な知識であることから、宇宙人から教わったと考える方が妥当ではないでしょうか。
なお、ここでご紹介した大ピラミッドに秘められた知識については、下の記事で詳しく紹介しています。
エジプトの大ピラミッドは光の速さや地球のサイズを表現した遺跡!驚愕の知識と技術を紹介
スフィンクス【エジプト文明】
大ピラミッドと並んで、スフィンクスも謎の多い遺跡です。
- 造られた年代がはっきりしない
- 誰が何のために造ったのか?
- 体に対して頭が小さいのは何故か?
- もう一体はどこにある?
上記の謎で興味深いのは、4のもう一体について。
古代エジプトでは、二つで1対が基本でした。
実際、スフィンクスの前足の間にある石碑「夢の碑文」には、スフィンクスが二体彫られています。
そのため、「エジプトには砂に埋まったスフィンクスがもう一体ある」と考える学者が大勢いるのです。
もっとも、私は「もう一体は火星にあり、すでにNASAが写真にとらえている」と考えています。
*出典:NASA
これはNASAの火星探査車が撮った写真。
山の手前にスフィンクスとそっくりの岩があります。
現在、NASAは火星への有人探査計画を進めていますが、それによってこれがエジプトのスフィンクスと対になっていると分かるかもしれません。
もしそうなれば、宇宙人が存在しており、エジプトにも訪れていた動かぬ証拠となることでしょう。
スフィンクスが造られたのは定説よりも前
定説によると、スフィンクスが造られたのは今から4500年前。
クフ王の息子カフラー王によって造られたと言われています。
しかし、地質学者のロバート・ショックがスフィンクスの周囲の壁を調査したところ、水による浸食の跡が見つかりました。(下の画像の赤い矢印の部分)
カフラー王時代のエジプトは今と同じ乾燥した気候でしたから、浸食ができるほどの水があったとは思えません。
浸食を起こすほどの水と聞いて考えられるのは、旧約聖書に出てくる大洪水。
大洪水は1万2千5百年前の最終氷河期末に起こったと思われ、だとすれば、スフィンクスは定説よりも数千年以上前に建てられたことになります。
実際、作家のグラハム・ハンコックの調査によって、1万2千5百年前、スフィンクスの視線の先には獅子座があったことが分かっています。
なお、エジプトのスフィンクスについては、下の記事で詳しく紹介しています。
エジプトのスフィンクスの謎をまとめて紹介!1万2千年以上前に宇宙人が造った?
造られたのは紀元前10490年?
有名な霊能力者であるエドガー・ケイシーは、自分自身の前世について、「(前世では)神官としてスフィンクスの建設に携わっていた」と透視しました。
さらに彼は、「スフィンクスや大ピラミッドが造られたのは紀元前10490~10390年頃だ」と指摘。
つまり、約1万2千5百年前です。
エドガー・ケイシーの能力は折り紙つき。
その彼の透視結果と、浸食の跡や獅子座の方角を向いていたという事実が一致しているわけです。
太陽のピラミッド【テオティワカン遺跡】
テオティワカンは紀元前2世紀から6世紀頃(マヤ文明が興る少し前)まで繁栄したと言われている都市です。
最盛期の人口は10万~20万人ほどもいたのだとか。
それほどの人を養えるだけの力を持っていたことから、かなり整備された都市だったと思われます。
しかしながら、文字を持たなかったことから、謎の多い遺跡としても有名。
とくに次のような点で学者が頭を悩ませています。
- 誰が王なのか分からない
- 造られた年代が分からない
- 神ケツァルコアトルとは誰なのか
- ケツァルコアトルの神殿になぜ水銀があるのか
- 建造物の配置が太陽系の惑星の配置と同じなのは何故か
- 雲母(マイカ)で覆われた空間は何に使われたのか
- 地下に金色の球体がある
これらの謎については下の記事で詳しく紹介しているので、ぜひご一読ください。
テオティワカン文明の遺跡にまつわる7つの謎!造ったのは宇宙人か?
神ケツァルコアトルとは宇宙人?
テオティワカンにおける神はケツァルコアトルです。
これはマヤ文明でククルカンと呼ばれている神と同じ。
そのマヤの古文書ポポルヴフによると、神ククルカンは宇宙からやってきて人類に知識をもたらしたとのことです。
実のところ、古代文明における神のほとんどは、「空からやってきた」と伝わっています。
代表的なところでは、エジプト文明のオシリスやメソポタミア文明のアヌンナキ。
神なら突然目の前に現れそうなものですが、なぜか空からやってきたことになっています。
これはつまり、古代人が実際に空からやってきた何者かを目撃したということ。
つまり、古代テオティワカン人のいうケツァルコアトルとは宇宙人だったのではないでしょうか。
なお、テオティワカンに関しては、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第122話)で紹介されています。
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プマプンク遺跡【ボリビア】
ボリビアのチチカカ湖の南、アルティプラノの高地にあるのがプマプンク遺跡です。
この遺跡が興味深いのは、残された石に精巧な装飾があること。
その装飾をどうやって彫ったのかが大きな謎なのです。
プマプンク遺跡にある石の画像
上画像に写っているのは、プマプンク遺跡にある石です。
ご覧の通り、非常に細かく鋭角に彫られています。
これを見た彫刻家のロジャー・ホプキンスは、次のように述べています。
「現代において同じ加工を行うには、ダイヤモンドチップがついたコンピューター制御の機械が必要」
「仮にコンピューター制御の機械があっても、ここまで綺麗に彫れるかは疑問」
つまり、プマプンク遺跡の石は当時の人間には彫ることが出来なかったということ。
宇宙人から技術の提供があったと考えられるわけです。
なお、プマプンク遺跡に関しては、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第46話)で紹介されています。
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ティアワナコ遺跡【ボリビア】
プマプンク遺跡のすぐ傍には、プレ・インカ期の人々が造ったとされるティアワナコ(又はティワナク)遺跡があります。
比較的マイナーな遺跡ですが、巨石が使われているという点において、エジプトの大ピラミッドやイースター島のモアイ像と同じ謎を孕んでいます。
ティアナワコ遺跡を造ったのは巨人
かつてこの地を征服しにやってきたスペイン人は、先住民のアイマラ族に「この遺跡を作ったのは誰だ?」と質問しました。
するとアイマラ族は、「巨人が造った」と答えたそうです。
実は巨人というのは、古代史の謎を解くうえで重要なキーワード。
日本の「だいだろぼっち」をはじめ、世界中のいたるところに巨人伝説があります。
そして、巨人の正体を語っているのが、旧約聖書です。
それによると、「堕天使が人間の女性とセックスをし、その結果巨人が産まれた」とのこと。
堕天使とは神が地上に遣わした存在であり、空からやってきたという点において、前述したケツァルコアトルやオシリスと同じ宇宙人。
その子供である巨人はティアナワコだけでなく、世界中にいたのでしょう。
実際、イタリアのマルタ島などでは、過去に体長2.5mを超えるヒト型の骨が複数見つかっています。
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マチュピチュ【インカ文明】
マチュピチュは、ペルー・アンデス山脈にあり、15世紀のインカ帝国が使っていた遺跡です。
山の山頂付近にポツンとあることから空中庭園とも呼ばれています。
もっとも、インカの人々はマチュピチュを使っていただけで、造ったのは別人かもしれません。
というのも、マチュピチュはインカの首都クスコからかなり離れているから。
また、かなりの大工事だったはずなのに、インカの人々が造ったという伝承も記録もありません。
マチュピチュを造ったのは古代の宇宙人?
かつて、インカの人々はスペイン人に対して、「私達がこの地に来たときには、マチュピチュはすでにあった」と語りました。
ということは、インカ人以前にこの地に住み、マチュピチュを造った者がいるということ。
ただし、マチュピチュは高い木が育つ高木限界よりも高知にあるので、周辺にコロにできそうな木はありません。
つまり、資材の運搬すらまともにできなかったわけで、もっと画期的かつ科学的な方法によって造られたはず。
この点において私は、宇宙人からの技術提供があったと考えています。
なお、マチュピチュやプマプンク遺跡の謎については、下の記事で詳しく紹介しています。
南米の遺跡・マチュピチュやプマプンクやティアワナコは宇宙人の技術で造られた?
ナスカの地上絵【ペルー】
ナスカの地上絵とは、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠に描かれた幾何学図形や動植物の絵の総称。
投影法を使って描かれたと思われますが、なぜ空からでしか全体像を確認できないように描いたのかは謎です。
普通なら「完成した全体像を見たい」と思うはず。
それが見れないのですから、人間が見るために描いたのではなく、空飛ぶことができた者(宇宙人)に見せるために描いたのではないでしょうか。
ナスカの地上絵は宇宙人の指示によって作られた
空飛ぶことができた者に見せるためにナスカの地上絵が描かれたという説には根拠があります。
というのも、地元では「神であるヴィラコチャがナスカの地上絵を作るように指示した」と伝わっているから。
つまり、ヴィラコチャに見せるためだったと考えられるのです。
ちなみに、ヴィラコチャは人間を造ったとされる創造主。
人間を造ったことを科学的に考えるなら、ヴィラコチャは宇宙人だといえます。
なお、ナスカの地上絵やオーパーツについては、下の記事で詳しく紹介しています。
オーパーツは宇宙人が作った?クリスタルスカルやナスカの地上絵、黄金ジェット機等
謎の島ハイ・ブラジル【北大西洋】
ハイ・ブラジルとは、1325年から1800年代頃に作成された地図にだけ記載されている謎の島です。
単に地図に記載されているだけでなく、実際にこの島に行ったと証言している人もいます。
それによると、「島のいたるところに黄金の屋根を持つドーム型の建築物があった」「巨大な石造りの城に魔術師が一人で住んでいた」とのこと。
また、「ハイ・ブラジル島は突如として現れたり消えたりする」との証言もあり、事実、現在においてハイ・ブラジル島は確認できません。
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ハイ・ブラジル島は超古代文明アトランティス?
哲学者のプラトンは、「二本のヘラクレスの柱の先にアトランティスがあった」と書き記しています。
ヘラクレスの柱とは、ジブラルタル海峡にあったとされる灯台のこと。
プラトンのいう通りだとすれば、丁度ハイ・ブラジル島が目撃された辺りにアトランティスがあったことになります。
このことから、ハイ・ブラジル島をアトランティスの名残りと考える学者もいます。
アトランティスには驚異的な科学技術があったと言われていますから、突如として現れたり消えたりすることも可能なのかもしれません。
なお、超古代文明アトランティスについては、下の記事で詳しく紹介しています。
超古代文明アトランティスは嘘?実在したなら場所はどこでなぜ滅びたのか?
ギョベクリテペ遺跡【トルコ】
ギョベクリテペ遺跡とは、トルコ・アナトリア南東部にある遺跡です。
2018年に世界文化遺産に登録されました。
使われた巨石は最大の物で重さが20トン。
円形の壁の中に6本の石柱がたてられており、そのうちの2つは中央で対をなしています。
現在までに5基の円形遺構が発掘済みですが、地中レーダーによると、あと16基ほど同型の遺跡が埋まっていることが分かっています。
また、地質調査の結果、今から1万2千年以上前に造られたと考えられています。
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ギョベクリテペは宇宙人を崇めるための神殿?
ギョベクリテペの謎は、誰が、何のために造ったのかということ。
それを解く鍵は、遺跡の中央にある一対の石柱かもしれません。
この一対の石柱は、シリウス(又は白鳥座のデネブ)を指しています。
そして、その石柱には衣服を着た長い指の人間らしき者が彫られています。
以上のことから推測できるのは、ギョベクリテペはシリウス(又はデネブ)からやってきた宇宙人を崇めるための神殿だということ。
知識や技術を教えてくれる宇宙人のことを神と崇め、後世まで崇拝すべく、遺跡でその存在を伝えているのではないでしょうか。
なお、ギョベクリテペ遺跡については、下の記事で詳しく紹介しています。
世界遺産ギョベクリテペ遺跡の謎!石像に彫られたのは宇宙人?いつ造られたのか?
南極のピラミッド【南極】
Google earthができたことによって、南極ではピラミッドらしき物がいくつも見つかっています。
南極が現在のように氷に覆われたのは7千年ほど前のこと。
つまり、ピラミッドがあるとすれば、メソポタミア文明やエジプト文明以前に、南極に超古代文明が栄えていたことになります。
この超古代文明の遺物を求めて真剣に調査したのがナチスドイツ。
ナチスは南極に軍を派遣して遺物を回収し、それを元に兵器開発を行っていたと言われています。
また、第二次世界大戦後には、アメリカ軍も南極に大規模な軍を派遣していました。
アメリカ海軍は南極でUFOに遭遇していた
アメリカが南極に軍を派遣したのは、1946年から1947年にかけてのこと。
ハイジャンプ作戦と名付けられたこの作戦には、4,700名の人員、13隻の艦船、1隻の航空母艦、多数の航空機が投入されました。
表向きは南極観測プロジェクトでしたが、それにしては規模が大き過ぎます。
おそらくは、ナチスが南極を調査していたことを知り、慌てて軍を派遣したのでしょう。
問題なのは、作戦中に海中から出現したUFOによって攻撃され、艦船や航空機を多数失ったと言われていること。
また、地底へと続く大穴を目撃したパイロットもいます。
これらの話が事実なら、南極のピラミッドに宇宙人が関係している可能性が大。
現在の南極には飛行禁止区域が設定されていますが、そこで軍が何をしているのかは謎なのです。
なお、南極のピラミッドについては、下の記事で詳しく紹介しています。
南極やアラスカには秘密のピラミッドがある!隠された理由は宇宙人関連だから?
ドヴァーラカー【インド】
インドの叙事詩「マハーバーラタ」には、ドヴァーラカーという都市が登場します。
長年、ドヴァーラカーは空想の都市と思われていましたが、近海を調査してみると、水深20mのところで古代都市の跡が見つかりました。
つまり、海面上昇が起こる前に造られた都市なわけです。
海面上昇は最終氷河期末(1万2千年前)に起こったと考えられます。
つまり、メソポタミア文明(今から7千年ほど前)以前に文明があったということ。
このことから、海底で見つかった古代都市は、マハーバーラタに登場する伝説の都市・ドヴァーラカーである可能性が指摘されています。
ドヴァーラカーの統治者クリシュナは宇宙人
ドヴァーラカーが実在したとすれば、そこには統治者がいたはず。
マハーバーラタには、神クリシュナが治めていたと書かれています。
ドヴァーラカーの謎は、このクリシュナについて。
クリシュナは、「空飛ぶ乗り物に乗って攻撃してきたシャルバ王を光る矢で迎撃した」と書かれているのです。
つまり、クリシュナは実体がある神だったということ。
なおかつ、光る矢を持っていたのですから、クリシュナは宇宙人だったのではないでしょうか。
ちなみに、マハーバーラタにはヴィマーナというUFOらしき乗り物が登場します。
ドヴァーラカーを攻撃したシャルバ王も空飛ぶ乗り物に乗っていたわけで、古代のインド人はUFOを目撃していたと思われます。
なお、ドヴァーラカーとクリシュナについては、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第15話)で紹介されています。
グヌン・パダン【インドネシア】
グヌン・パダン遺跡は、インドネシアの西ジャワ州チアンジュール県カリャムクティ、チャンパカ地区にある遺跡です。
1個300㎏もする六角形の石柱を5万個も積み上げてひな壇状に造られており、頂上部には5つのテラス(150m×40m)があります。
また、内部には3つの空間(部屋)があることも分かっています。
この遺跡の謎は、造られた年代。
高度な建築技術が用いられているにも関わらず、地質調査の結果は驚くほど古いのです。
グヌン・パダンは超古代文明の遺跡かもしれない
グヌン・パダン遺跡の地質調査を行ったのは、地震地質学と地球構造学の専門家であるダニー・ヒルマン・ナタウィジャヤ。
彼がコアドリルで遺跡の最下層の土を取り出したところ、建材の一部と思われる有機物が出土しました。
炭素年代測定によると、その有機物は2万4千年前の物とのこと。
同時期にグヌン・パダンが造られたとすれば、メソポタミア文明やエジプト文明よりも1万年以上前に高度な文明が存在したことになるのです。
与那国島の海底遺跡【日本】
日本の与那国島の海底には、古代文明の遺跡と思われる物が沈んでいます。
その遺跡は与那国島観光協会のHPで確認できます。
もっとも、主流の考古学者は「海流の浸食によって偶然にできた地形」と主張。
鋭角に削られた石をみると、海流の浸食によってできたとは到底思えないのですが・・・
主流の考古学者が海流の浸食説にこだわるのは、この遺跡が海底にあるから。
そこが陸地だったのは最終氷河期末(1万2千年前)より前だったはずで、メソポタミア文明を最古の文明とする定説が覆ってしまうのです。
それは同時に、超古代文明の存在が立証されるということ。
定説にこだわって研究してきた考古学にとっては、認めたくない説なのでしょう。
なお、与那国島の海底遺跡をはじめとする超古代文明の痕跡については、下の記事で詳しく紹介しています。
与那国島の海底遺跡など、超古代文明が存在した可能性は高い!証拠となる遺跡を紹介
ビミニロード【バハマ】
1968年、バハマ諸島にあるノースビミニ島の沖合の海底で、石を真っ直ぐに敷き詰めて造られた石畳が発見されました。
ビミニロードと名付けられたこの石畳があるのは、水深3~5mの辺り。
与那国島の海底遺跡と同じで、ビミニロードが陸地だったのは、氷河期でまだ海面が低かった1万2千年以上前のこと。
当然、主流の考古学者は「海水の浸食によって偶然できた」と主張しています。
ビミニロードは超古代文明の遺跡?
与那国島の海底遺跡と比べると、ビミニロードには鋭角な部分がほとんどなく、浸食によってできたようにも見えます。
しかしながら、石畳の下をみると、高さを揃えるために小石が置かれているのです。
この小石の存在が、ビミニロードが人工物であることを物語っており、主流の考古学者がいう海流による浸食説は間違いだと分かります。
また、ビミニロードは海岸のすぐ近くにあり、防波堤のように見えることから、「アトランティス文明の港だ」と主張する学者もいます。
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モアイ像【イースター島】
モアイ像とは、チリ領イースター島にある人面を模したとされる凝灰岩でできた石像のこと。
1722年にイースター島にたどり着いたヤコブ・ロッヘフェーンが、その存在を公表しました。
最大のモアイ像は高さ20メートル、重量90トン。
バールベック遺跡の1,000トン超えには及びませんが、それでも古代人にとって扱いにくいサイズなのは間違いありません。
モアイ像最大の謎は運び方
イースター島のモアイ像は謎の多い遺跡ですが、もっとも不可解なのは運び方です。
「木の『ころ』を使えば当時の人口・技術力でも運搬が可能」と主張する学者もいますが、実際にTV番組で「ころ」を使って検証したところ、成功しませんでした。
また、モアイ像を立たせたまま、縄で引っ張りながら目的地まで運んだという説もあります。
ただし、現地の人々に伝わっているのはまったく別の方法。
なんと、「モアイは自分で歩いた」というのです。
その伝説によると、モアイ像は目から「マナ」と呼ばれる力を発し、それによって自分で歩いたのだとか。
少なくとも「縄で引っ張った」とは伝わっておらず、我々の科学では解明できない何らかの技術があったと思われます。
なお、モアイ像の謎については、下の記事で詳しく紹介しています。
イースター島のモアイ像の謎を解明!どこを向いている?運び方は?モデルは?
撫仙湖に沈んだ古代都市【中国】
1992年、中国の雲南省にある撫仙湖(ぶせんこ)の湖底を潜水士のゴン・ウェイが調査しました。
すると、湖底から加工された敷石や道路、建物の跡などが見つかりました。
さらにその後の調査では、祭壇や壁、ピラミッドらしき建造物、競技場などが見つかっています。
つまり、かつての撫仙湖は陸地であり、そこには古代文明の都市があったことになります。
では、そこが湖になったのはいつなのか?
可能性があるのは、1万2千年前の最終氷河期末。
この時期、大陸北部を覆っていた氷が溶け、世界中で大洪水が起きたと考えられています。
つまり、撫仙湖に沈んだ古代都市は未知の超古代文明だと考えられます。
そして、文明が発達するには高度な知識や技術が必要。
1万2千年前の人類が独自に高度な知識や技術を習得した痕跡はないので、人間以外の知的生命体(宇宙人)から教わった可能性が浮上するのです。
ちなみに、1991年には、撫仙湖で釣りをしていた漁師が、水中からUFOが飛び出すのを目撃しています。
なお、宇宙人と関係がある中国の古代遺跡については、下の記事で詳しく紹介しています。
中国の古代遺跡は宇宙人・UFOに関係がある!紫禁城や始皇帝の墓、西安のピラミッド等
まとめ
この記事では、宇宙人・UFOと関係がある(と思われる)謎の古代文明の遺跡を一覧にしてご紹介しました。
より詳しい情報はそれぞれのリンク先に記載してあるので、ぜひご一読ください。
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