イースター島のモアイ像は、謎の多い遺跡の一つです。
というのも、文字による古代の記録がなく、いつ誰が作ったのかはっきりしないから。
これに関する定説はあるものの、それでは説明できない点があるのも事実です。
そこでこの記事では、定説に反して、巨人がモアイ像を作ったという説をご紹介します。
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イースター島のモアイ像はいつ作られたのか?
定説によると、イースター島のモアイ像は数百~千年ほど前に作られたと言われています。
これに関して、一般的な考古学者は次の二つを根拠として挙げています。
- モアイ像の台座から千年ほど前の有機物がみつかった
- 現在の島民がイースター島に住み着いたのが千年ほど前
モアイ像の台座から千年ほど前の有機物がみつかった
イースター島にあるモアイ像のうち、いくつかは台座に載っています。
モアイ像も台座も石なので、炭素年代測定は不可能なのですが・・・
過去の調査により、台座の一部から有機物がみつかりました。
この有機物を炭素年代測定にかけたところ、千年ほど前のものであることが判明しています。
現在の島民がイースター島に住み着いたのが千年ほど前
イースター島は太平洋の真ん中にポツンと存在しており、当初は誰も住んでいなかったと考えられています。
そんなイースター島に現在の島民(ポリネシア人)が移住してきたのが千年ほど前。
その他、4世紀~5世紀頃とする説や7世紀頃とする説もありますが、巨石を加工する技術も含めて考えると、モアイ像が作られ始めたのは千年ほど前だと言われています。
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定説は間違い!モアイ像が作られたのは1万年以上前か?
モアイ像が作られたのは千年ほど前というのが定説。
しかし、私はこの説に疑問を感じており、「実は1万年以上前ではないか?」と考えています。
というのも、前述した根拠には反論の余地があるからです。
堆積物に埋まったモアイ像が多々ある
モアイ像の土台からみつかった有機物が千年ほど前のものであることから、現在の島民であるポリネシア人の祖先がモアイ像を作っていたことはほぼ間違いないでしょう。
しかし、だからといってすべてのモアイ像がポリネシア人によって作られたとは限りません。
たとえば、モアイ像の中には、胴体にあたる部分が地中に埋まっているものもあります。
この埋まっている部分は、地上にでている部分とほぼ同じ長さ(数m)。
ただし、穴を掘って胴体部分を埋めた形跡はありません。
そもそも、せっかく彫った胴体部分をあえて埋める理由はありません。
そのため、モアイ像の胴体部分が埋まったのは、様々な堆積物が積もった結果だと考えられます。
さて、ここで問題なのは、本当に数百~千年程度で数mも堆積物が積もったのか?ということ。
一般的な地層において数m下といえば、そこは数千~数万年のものです。
また、イースター島自体は火山活動によってできた島ですが、最後に溶岩を伴う大規模な噴火が起きたのは約10万年前。
それ以降は、20世紀に水蒸気爆発が起きた程度ですから、火山灰の堆積によってモアイ像の胴体が埋まったとも考えられません。
つまり、ポリネシア人がモアイ像を作り始める以前に、すでに古いモアイ像が存在した可能性が高いのです。
ポリネシア人が移住してくる前に別の住人がいたのではないか?
イースター島にポリネシア人が移住してきたのは、早くても4世紀頃。
その後すぐにモアイ像を作り始めたとしても、前述したように、モアイ像の胴体が埋まるまでの時間が足りません。
ということは、古いモアイ像を作ったのは、ポリネシア人より前にイースター島に住んでいた何者かということになります。
実際、イースター島を征服しにやってきたスペイン人が「この像を作ったのは誰なのか?」と質問したところ、ポリネシア人達は「自分たちがこの島に来た時にはすでに像があった」と答えたそうです。
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古いモアイ像を作ったのは巨人?
イースター島の発見者であるヤコブ・ロッヘフェーンは、「島に赤毛の巨人がいた」というメモを残しています。(発見は1722年)
現代でもそうですが、巨人をみたなどと語れば、世間からバッシングされます。
下手をすると、イースター島の発見という事実自体を疑われることになります。
それでもメモに残したわけですから、ロッヘフェーンが冗談や嘘を書いたとは思えません。
つまり、ヤコブ・ロッヘフェーンがメモに残した通り、1722年当時、イースター島には巨人がいたと考えられるのです。
巨人がモアイ像を作ったとすればすべての謎が解ける
モアイ像については、次のような謎が存在します。
- どうやって重い石を採石場から運んできたのか?
- どうやってモアイ像を立てたのか?
これまで様々な実験が行われてきましたが、上記の謎を完全に解明することはできませんでした。
なぜなら、人間の力で作ったということが前提になっているから。
巨人が作ったとすれば、重たい石を扱えたはずであり、モアイ像の運搬に関する問題は解決します。(あるいは、巨人には何らかの特殊能力があったのかも)
また、イースター島のモアイ像は、実在した偉人達をモデルにしたと伝わっています。
しかし、モアイ像の彫りの深い顔はポリネシア人の特徴にあてはまっておらず、ポリネシア人以外の何者かが作ったことを示唆しています。
なお、イースター島のモアイ像については、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第141話)で詳しく紹介されています。
巨人はいつイースター島に来たのか?
イースター島に巨人が来た時期について、私は1万3千~1万2千年前だと考えています。
その根拠となるのが、1万3千~1万2千年前の地層にみられる泥炭層。(この泥炭層は世界中でみつかっています)
一般的に、泥炭層は木や生物の死骸によってできるものですから、1万3千~1万2千年前に何らかの大災害(おそらく大洪水)が起こったのはほぼ間違いありません。
さて、大災害ときいて真っ先に思い当たるのは、旧約聖書に書かれているノアの方舟の物語です。
旧約聖書には、「神は地上から巨人と堕落した人間を罰するため大洪水を起こした」とあります。
以上のことから、大洪水を生き延びた巨人が、1万3千~1万2千年前にイースター島にたどり着いたと考えられるのです。
イースター島にいた巨人とは何者なのか?
ヤコブ・ロッヘフェーンがイースター島で目撃した巨人とは何者だったのか?
それが大洪水を生き延びた巨人の子孫だとすれば、巨人の正体は天使と人間の間にできた子供です。
そのことは、旧約聖書にはっきりと書かれています。
旧約聖書によると、神は地上の守護者として天使を遣わしました。
ところが、地上に降りた天使は人間の女性の美しさに心を奪われ、セックスをしてしまいます。
その結果、巨人ネフィリムが産まれ、地上で繁栄しました。
神はそのことに大いに失望。
罰を与えるために大洪水を起こしたと書かれているのです。
天使や神は宇宙人だったのではないか?
旧約聖書に登場する神や天使については、私は、それが宇宙人だったと考えています。
天使が地上に降りたというのは、空からUFOに乗って飛来したということでしょう。
しかも人間の女性との間に子供を作ったわけで、ここでいう天使には実体があったことになります。
そんな生命体を合理的にイメージすると、宇宙人以外に考えられないのです。
1万年以上前の遺跡はモアイ像だけじゃない
大洪水を生き延びた巨人(宇宙人と人間との間にできた子供)がおり、その子孫がモアイ像を作ったというのが私の考え。
ただし、巨人が移住したのはイースター島だけではなかったようです。
というのも、1万年以上前に造られたと思われる巨石遺跡は世界中にあるから。
1万年以上前といえば、日本の歴史でいうところの縄文時代。
この頃の人類には巨石建造物を作る技術はなかったというのが従来の学説ですが・・・
近年の調査・研究により、1万年以上前にはすでに巨石建造物を作る技術があったことが分かってきたのです。
スーパーヘンジ
イギリスのエイブベリーには、世界遺産であるストーンヘンジがあります。
いつ頃から作りはじめられたのかはっきりしない遺跡であり、数千年以上前という説も。
そんなストーンヘンジの近くで、近年、半円状の土塁が発見されました。
地中探査を行ったところ、地下に100個ほどの巨石が並べられていることが判明。
この土塁遺跡をスーパーヘンジといいます。
スーパーヘンジのことはまだよく分かっていませんが、考古学者によるとストーンヘンジよりも古い遺跡なのだとか。
つまり、1万年以上前に作られた可能性が高いのです。
与那国島の海底遺跡
*出典:与那国島町観光協会
沖縄・与那国島の海底には、幾何学的に削られた巨石があります。
多くの考古学者は、これを「海流によって偶然にできた地形」と説明していますが・・・
琉球大学の木村政昭名誉教授によると、巨石には工具で削ったような跡があるとのこと。
また、巨石の一部分は人面のように見えるそうです。
以上のことから、同教授は「人工的に作られた遺跡と考えて間違いない」と述べています。
だとすると、気になるのはこの遺跡が地上にあった(海面が今よりも低かった)のはいつなのかということ。
現在の地質学では、最終氷河期の終わり(1万2千年ほど前)から海面の急激な上昇が始まったと考えられています。
これは、北半球の半分ほどを覆っていた氷が溶けたため。
与那国島の海底遺跡はそれ以前に作られたことになるので、1万2千年以上前の遺跡ということになるのです。
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エジプトのスフィンクス
現在の学説では、エジプトのスフィンクスは紀元前2500年頃にできたとされています。
しかしながら、この学説に異論を唱える学者も。
というのも、スフィンクスの視線は1万2千5年前に見られた獅子座を指しているのです。
また、スフィンクスを囲む壁には、水による浸食の跡があります。
エジプトの気候が湿潤で浸食ができるほどの大雨が降っていたのは1万年以上前。
壁の浸食はその頃にできたと思われ、必然的にスフィンクスができたのも1万年以上前ということになります。
ギョベクリテペ
ギョベクリテペはトルコにある巨石遺跡です。
長い間地中に埋まっていましたが、現在では少しずつ発掘が進んでいます。
地質学者がこの遺跡の地層を調べたところ、1万年以上前のものであることが判明。
メソポタミア文明よりも数千年古いわけで、人類史を覆す可能性がある遺跡として注目を集めています。
ちなみに、ギョベクリテペの近くにはアララト山があります。
アララト山や方舟に乗って大洪水を生き延びたとされるノアが流れ着いた場所。
つまり、ギョベクリテペはノアやその子孫が文明を再興した最初の場所かもしれないのです。
なお、1万年以上前にできた可能性が高い遺跡については、下の記事で詳しく紹介しています。
ピラミッドやモアイ像等、宇宙人・UFOと関係がある謎の古代文明の遺跡一覧
まとめ
この記事では、イースター島のモアイ像はいつ作られたのかという謎にスポットをあててご紹介しました。
定説では千年ほど前から作られた始めたとなっていますが・・・
私は1万年以上前に大洪水を生き延びた巨人が作ったと考えています。
実際、1万年以上前にできたと思われる遺跡は世界中にありますから、イースター島のモアイ像がその頃に作られていたとしても、まったく不思議ではないのです。
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