テオティワカンは、メキシコの首都メキシコシティ北東約50キロの地点にある遺跡です。
観光地として有名ですが、肝心の歴史・起源については分からないことばかり。
高度な建築技術はどこからきたのか、暮らしていた民族はどこに行ったのか、そもそもいつ誰が造ったのか…
ここまで高度で謎に満ちた遺跡は珍しく、私は宇宙人が建設に関わったと考えています。
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テオティワカン遺跡とは
テオティワカンは紀元前2世紀から6世紀頃まで繁栄した都市。
当時は南アメリカにおける中心的存在だったと考えられています。
時代でいえば南アメリカでマヤ文明が興る少し前。
実際、テオティワカン様式の芸術は古典期マヤ文明に大きな影響を及ぼしました。
そんなテオティワカンの最盛期には、10万~20万人ほどが暮らしていました。
下水道の設備があり、かなり整備された都市だったことが分かっています。
ただし、誰が王だったのかは不明。
また、10万~20万人もの人口を養うほどの食料をどうやって確保していたのかも分かっていません。
このように詳細が分かっていないのは、テオティワカンの住人が文字を使っていなかったから。(詳しくは後述)
ゆえにテオティワカンの歴史に関しては推測によるところが大きいのです。
テオティワカンの謎1:造られた年代が分からない
テオティワカンは、かつて南米で最大規模の都市でした。
ただし、それは紀元前2世紀から6世紀頃まで人が住んでいたという話に過ぎず、建築物が造られた時期を示しているわけではありません。
実のところ、テオティワカン遺跡が造られた正確な年代は不明なのです。
マヤ文明よりも少なくとも100年前から存在していたと言われていますが、太陽のピラミッドや月のピラミッド、ケツァルコアトルの神殿などには非常に高い建築技術が使われています。
果たしてその技術はどこからきたのか?
マヤ文明より100年以上前の人間が、本当にあんなものを造ることができたのか?
私は宇宙人がやってきて人間に技術を授けたと考えています。
テオティワカンの謎2:文字がない
テオティワカンが造られた年代が不明である理由の一つとして、文字や記号がまったく記されていないということが挙げられます。
シュメールやエジプトといった古代文明には文字がありましたし、後に南米一帯に文明を築いたマヤも文字を持っていました。
そして、文字を持っていれば、建築物のどこかに彫るのが一般的。
しかし、テオティワカン遺跡の建築物には文字が彫られていません。
出土品のなかにも文字を刻んだものは一切なし。
あれほどの高度な建築物を文字無しでどうやって造ったのか…
この謎の答えとして考えられるのは、極めて高い知識を持った何者かが、口頭で指示を出していたということ。
そうじゃなければ、あれほどの建築物を文字無しで造るのは不可能だったでしょう。
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テオティワカンの謎3:ケツァルコアトルとは誰なのか
テオティワカンは「神々の街」という意味。
地元民の間では、神々がテオティワカンで人間を創造したと伝わっています。
その神々のなかでも最高神として崇められているのが、羽毛の生えた蛇神ケツァルコアトルです。
ケツァルコアトルはマヤ文明ではククルカンと呼ばれ、白い顔の男性と伝わっています。
また、マヤの古文書ポポルヴフによると、ククルカンは宇宙からやってきて人類に知識をもたらしたとのこと。
実際、マヤ文明の遺跡チチェン・イッツァにあるククルカンの神殿(通称、カスティーヨ)には、春分の日と秋分の日に蛇の形をした影が映し出されます。
この影はまるで蛇がうねっているかのようであり、神ククルカンの降臨を表現していると言われています。
ここで私が気になるのは、何故神が空からやって来るのかということ。
神が霊的な存在であるなら、目の前に突然現れることが可能であり、その方がはるかに神秘的です。
にもかかわらず、ククルカン(ケツァルコアトル)をはじめ、エジプトのオシリス神やメソポタミアのアヌンナキなど、ほとんどの文明で「神は空からやってきた」と伝わっています。
これはつまり、古代人は実際に空からやってきた何者かに遭遇していたということではないでしょうか?
そしてその何者かが高度な知識を持っていたために、「神」という言葉で表現したのではないでしょうか。
そう考えれば、古代テオティワカン人のいうケツァルコアトルとは宇宙人だったということになります。
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テオティワカンの謎4:建造物の配置が惑星の配置と同じ
1970年代、アメリカ人のヒュー・ハールストンは、テオティワカンの主な構造物の間の距離は太陽系の惑星同士の距離と同じ比率であることを発見しました。
おまけに、火星と木星の間にある小惑星帯が、テオティワカンでは人工の川として表現されているのです。
高性能な望遠鏡がなければ太陽系の惑星の配置は分からないはず。
それがテオティワカンに反映されているということは、太陽系の惑星の配置を知る何者かがいたということになります。
また、テオティワカンの太陽のピラミッド、月のピラミッド、ケツァルコアトルの神殿は、オリオン座の3つ星と同じ配置。
オリオン座は様々な古代文明で重要視されている星座です。
人類の祖先はオリオン座からやってきたと信じる民族もいます。
このように、テオティワカンの構造物の配置と惑星の配置には高い関連性があり、宇宙人が建設に携わっていたと考えられます。
テオティワカンの謎5:ケツァルコアトルの神殿に水銀がある
2015年、ケツァルコアトルの神殿の下から水銀が発見されました。
水銀は自然にはできない物質。
つまり、テオティワカンの住民は何らかの目的を持って水銀を作っていたことになります。
問題なのは、どんな目的で水銀を作ったのかということ。
水銀は毒性がある物資なので、それなりに重要な目的がなければ作るはずがありません。
その答えになりそうなのがインドの古文書サマランガナスートラダーラ。
そこには、水銀を取り入れた推進装置(エンジン)と太陽光を取り入れて進む乗り物について書かれているのです。
実際、水銀は超伝導体であり、一定の温度まで冷やすと電磁場の上で浮遊するという特徴があります。
それは横浜国立大学山梨研究室が行った実験で確認できます。(下の動画)
*出典:横浜国立大学山梨研究室
以上のことから私は、テオティワカンには水銀を使ったUFOがあったと考えています。
ちなみに、中国の始皇帝の墓でも水銀がみつかっています。
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テオティワカンの謎6:雲母(マイカ)で覆われた空間がある
1906年、考古学者のレオポルド・バトレスは太陽のピラミッド付近で雲母(マイカ)に覆われた空間を発見しました。
雲母は耐熱性と電気絶縁性に優れた伝導体。
現代では耐熱版としてロケットの外装にも使われたり、電子部品に使われたりしています。
この雲母で覆われた空間は1990年代に立ち入り禁止となりましたが、作家のエーリッヒ・フォン・デニケンは立ち入り禁止となる前に内部に入っています。
彼が言うには、壁が雲母で覆われており、その部屋から太陽のピラミッドへとダクトが伸びていたとのこと。
そのダクトも雲母で覆われていたそうです。
このことから、雲母で覆われた空間で電気が作られ、太陽のピラミッドへ供給されていたという仮説が成り立ちます。
そのような高度な知識と技術が当時の人間にあったはずはないので、この空間を造らせ電気を使用していたのは宇宙人だと考えられます。
なお、テオティワカン遺跡はその一部が焦げており、大規模な火災又は爆発があったとされています。
主流の考古学者は「テオティワカンで反乱が起きたときの火災」と説明していますが、石を焦がすほどの高温を作り出す燃料が古代にあったとは思えません。
なので私は、雲母で覆われた部屋で作られた電気が何らかの理由で暴走し、大事故を起こしたと考えています。
テオティワカンの謎7:地下に金色の球体がある
2003年、テオティワカンに大雨が降り、ケツァルコアトルの神殿の近くが陥没しました。
考古学者が陥没穴に入ったところ、ケツァルコアトルの神殿の真下へと続く洞窟を発見。
この洞窟を詳しく調べたところ、2013年に数百個もの金色の球体が見つかりました。
この球体のサイズは直径2.5cm~13cm。
外側は加熱された黄鉄鉱、内側はほぼ土ですが、地球上にはない物資が含まれています。
つまり、この金色の球体は人工物。
一説によると、現代のプラネタリウムのように、一つ一つの球体が星を表していたと言われています。
だとすると、球体は数百個も作られているので、テオティワカンの住人は宇宙の星々について非常に強い興味を抱いていたことに。
一体なぜそこまで宇宙にこだわっていたのか?
これはテオティワカンに関する大きな謎といえます。
なお、テオティワカン以外にも、宇宙人が関係していると思われる遺跡は沢山あります。
それらについては、下の記事にて一覧で紹介しています。
ピラミッドやモアイ像等、宇宙人・UFOと関係がある謎の古代文明の遺跡一覧
まとめ
テオティワカン遺跡には現代でも未解明の謎が沢山あります。
その一つ一つが高度な知識・技術の存在を示唆しています。
通常、知識や技術は少しずつ進歩していくはずですが、テオティワカン遺跡をみると突如として高い知識・技術を与えられたかのようです。
伝説ではケツァルコアトルが知識をもたらしたと言われていますが、これほど高い知識を持っていたとなると、ケツァルコアトルは宇宙人だとしか考えられません。
おそらくテオティワカン遺跡の建設そのものに宇宙人が関わっていたのでしょう。
なお、テオティワカンに関しては、ドキュメンタリー番組「古代の宇宙人」(第122話)で紹介されています。
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